ねぷた? ねぶた?
青森の夏祭りといえば大きな立体的な山車が夜のまちを曳かれる青森ねぶたを想像する方が多いと思います。
実は青森市は“ねぶた”、弘前市などは“ねぷた”と呼ばれています。 弘前ねぷたは江戸時代からあり、青森ねぶたは明治期以降に始まっています。 弘前は弘前藩(津軽藩)の城下町で、現在の青森市は明治維新後に弘前藩などが廃藩置県された際に県庁が置かれてから発展した新しい町です。 青森ねぶたの始まりは浅虫ねぶたと言われています。
実は“ねぷた”も“ねぶた”も両方使われていたようですが、昭和55年(1980年)に重要無形民俗文化財に指定された際にその名称が決められて現在に至っているようです。
この図にあるように“ねぷた”は津軽地方(除く青森市)に広く行われています。秋田県でも青森県に近い鹿角市でも花輪ねぷたが行われています。 下北のむつ市で行われている大湊ねぶたは、江戸時代から行われていました。
起源
ねぷた祭りの起源には諸説ありますが、七夕祭りの“眠り流し”が訛ったものと言われています。 眠り流しの行事は全国で行われており、農繁期の夏に睡魔を追い払うために「眠気を祓う」という禊から始まったと言われています。
「眠い」を津軽弁では「ねぷてぇ」「ねぶてぇ」と言います。これが訛ると“ねぷた”などになったと考えられます。 また秋田で有名な竿灯も“ねぶり流し”行事とされていて、この“ねぶり”は眠りが訛ったものです。
実際、弘前ねぷたや青森ねぶたは、旧暦の8月7日を含む日程で開催されています。 また青森ねぶたでは最終日の8月7日には海上運行が行われて“流す・祓う”という本来の意味合いの伝統が残されています。 弘前ねぷたでも最終日の8月7日を“七日(なぬかび)”と呼んでおり、以前は岩木川での運行が行われていました。
山車の形
ねぷたの山車には、2種類あって、人形ねぷた(組ねぷた)と、扇ねぷたと呼ばれます。
江戸時代の記録によれば扇ねぷたの最初は、四角い箱形で和紙を張り「七夕祭」「石打無用」などの文字が描かれていただけだったようです。 それが徐々に扇などの絵が描かれるようになり、形も丸みをおび、更に扇形に変わってきたようです。
この写真は、弘前市立観光館にある山車展示館にある江戸時代に実際に使われていた組ねぷたの1つです。 台座の上に人形が置かれ、山車には木製の車輪が付いています。
その後、骨組みに竹が用いられて紙を貼って彩色が行われるようになります。 しかし竹の骨組では細かな立体は作れませんでした。
昭和30年代 1955年以降に骨組みに針金を使うものが現れました。最初は邪道だと蔑まれたようですが、立体描写の素晴らしさからこれが主流になっていきます。 現在の人形ねぶた(組ねぶた)につながります。
青森ねぶたの特長
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青森ねぶた
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跳人(はねと)
大きな立体的な人形ねぶたの山車が特長です。 道路いっぱいほどの山車は圧巻です。 山車に続いてお囃子隊が続きます。太鼓を先頭に笛や手平鉦(てびらがね)を鳴らします。 更にお囃子と♪ラッセェラー、ラッセェラーの掛け声と一緒に跳人(はねと)が跳ね踊ります。
跳人は短めの浴衣に色襦袢や色帯、肩にも色帯をたすき掛けにして、更に花笠をかぶっています。 鈴を付けているので跳ねるたびに鈴が鳴って賑やかです。
祭りの最終日8月7日には、お昼にねぶたの運行が行われた後に、夜には禊の意味合いである“流す・祓う”ために青森港で海上運行が行われます。 同時に花火も打ち上げられます。
弘前ねぷたの特長
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弘前ねぷた 鏡絵
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弘前ねぷた 見返り絵
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金魚ねぷた
大きな扇形をしたねぷたを人力で曳きます。大きなものでは5mを越えます。また機械によって上下、回転できるようになっています。 この動作は基本的には人力が多いのですが動力を用いる場合もあります。また組ねぷたもあります。
♪ヤーヤドーの掛け声や太鼓とお囃子を鳴らしながら動いていきます。
扇の表は“鏡絵”と呼ばれ勇壮な武者絵が描かれます。 扇の裏側は“見返り絵”と呼ばれ婦人が描かれます。
金魚の形をしたねぷたもあります。これは津軽錦と呼ばれる背びれの無い金魚をモチーフにしたものです。
また祭りの最終日8月7日(なぬかび)には、昼間のねぷた運行が終了してから夜に岩木川河川敷にて“なぬかびおくり”と呼ばれる行事を行います。 多数のねぷたを川沿いに動かすことで“流す”という眠り流しの意味合いを再現しています。 更に数台のねぷたを燃やし清めて祭りを締めくくります。
これは金魚ねぷたのミニチュアです。店先や民家の軒先に飾られています。小さなものはおみやげとしても販売されています。
この金魚ねぷたが、江戸時代に北前船と通じて山口県柳井市に伝わって、柳井では金魚ちょうちんとして定着している。
五所川原立佞武多の特長
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五所川原立佞武多(たちねぷた)
超大型の垂直にそそり立つような山車が特長です。高さは21mにもなり、ビルの7階に相当します。 これを立佞武多(たちねぷた)と呼びます。 昭和の時代には4mほどの山車が使われてきました。 それが明治中期から大正初期にかけて巨大な山車が制作されていたことを示す写真が発見されて、1996年に復元されて岩木川で披露されました。 その後、市内のねぷた運行コースの電線を埋設し、1998年から市街地で運行されています。
掛け声は♪ヤッテマレ、ヤッテマレで、笛や太鼓などのお囃子とともに進んでいきます。
立佞武多のほかに青森ねぶたのような人形ねぶたも運行されています。
掛け声
弘前ねぷたの「ヤーヤドー」や五所川原の「ヤッテマレ」などから想像されるように以前は喧嘩神輿のようなにらみ合いがあったようです。 いまはそうしたことはありませんが、それぞれの山車が賑やかさを競っています。
祭りの掛け声は地域毎に違っています。その意味でそれぞれの地域で個性ある祭りが行われています。